01/01/2009
双子の兄弟、ボブとビル・マイストレルは、カリフォルニアの人々のライフスタイルを海とはきってもきれないものにしました。
4歳の頃、2人は、その後ミズーリ州のブーネビル近くあった農場で過ごします。海からは遠く離れていましたが、2人には冒険心があり、特に水中に潜るのが大好きでした。早いうちから独学で泳ぎをマスターし、12歳になる頃には、木箱からお手製のダイビング・ベルをこしらえ、農場の池を深くまで潜りました。
10代だった1940年代にカリフォルニア、マンハッタンビーチに移り住むと、すぐさま海に夢中になり、伝説のサーファー、デール・ベルジーやグレッグ・ノールといったカリフォルニアにおけるサーファーのパイオニア達と一緒に、マンハッタンビーチ・サーフクラブを立ち上げました。また水中での決まりごとを強固にし、真のウォーターマンとしての信用を確立するために、ボブとビルは、ロサンゼルスでライフセーバーやスキューバダイバーの資格を取得し、その後、団体としては世界初となる認定スキューバダイビングインストラクターになるために、第1回ロサンゼルス・アンダーウォーター・インストラクターズコース(1UICC)に参加しました。
彼らは毎日サーフィンやライフガードを続けながら、ダイビングビジネスを展開していきました。1800ドルを借り入れると、ハップ・ジェイコブスを買収し、Dive N'Surfがサーフィンやダイビング用品を扱う南カリフォルニアの貴重な小売店として発展していけるよう、1953年にはベブ・モーガンをビジネスパートナーに迎えました。サーフィンやダイビング用品、アパレルなど、多種多様な製品を提供していたことで、ビジネスは拡大していきました。その結果、南カリフォルニア小売組合が創られ、老若問わず、多くの人を海へと誘ったのでした。
ボブとビルはネオプレーンと呼ばれる断熱素材を使い、初の実用的ウェットスーツを開発し、カリフォルニアの冷たい海は、グレッグ・ノールやミッキー・ムニョスら有名なサーファーも含めて、多くのダイバーやサーファーが一年中楽しめる場所になったのです。こうして、「グローブのようなフィット感」のウェットスーツとBody Glove社が誕生しました。
マイストレル兄弟はマーケティングコンサルタントとして、デューク・ボイドを採用しました。ボイドがウェットスーツの特長を聞いたところ、ビルが「グローヴのようにフィットする」製品だと答えたため、Body Gloveという名前を思いつきました。
ロゴのデザイン代に使うようにと、兄弟はボイドに200ドルを払いましたが、ボイドは35ドルで作ってくれる人を見つけました。
1980年代になると、向上心の強いアメリカのプロサーファーの間である問題が起こりました。ワールドツアーに参加する手段がなかったのです。こうした当初から、Body Glove社は南カリフォルニアに拠点を置いたミニツアー、「Body Gloveグランプリ」のような支援も含めて、プロのサーフィン活動に関わってきました。やがて、マイストレルグループはアメリカでプロサーフィンツアーを開催することが重要で価値があるということに気付きました。そうすることで、こうしたイベントやスポーツとしてのサーフィンが、アメリカでブームになると考えたのです。また、この時彼らは、創設者のジョイ・バーランから成長したPSAAを買収しています。この時期、マイストレルグループの若い一人が、アメリカにおけるプロサーフィンの将来のビジョンを見据え、アンハイザー・ブッシュやマーケティング担当のドン・コルシーニらと共に重要な同盟を結びました。彼らは「バドワイザー・サーフ・ツアー」という、アメリカ本土、ハワイ、そしてプエルトリコをまたいで行う、プロサーフィンのイベントを開催しました。そしてこのツアーが、ケリー・スレーター、ロブ・マチャド、パット・オコーネルら、多くのサーファーにとってあこがれのワールド・チャンピオンシップ・ツアー・WCTになったのです。
Body Gloveは、長年、トップサーファーにスポンサー活動とサーフィンの道具を提供してきました。グレッグ・ノール、ミッキー・ムニョス、ジェフ・ハックマン、デイビッド・ヌヒワ、ホビー・アルターなどサーフィンのパイオニアたちはみな、初期の頃、Body Gloveのウェットスーツを着用していました。Body Gloveを着用した次の世代には、U.S.チャンピオンのマイク・ランバーシやジョーイ・ブーランらに続いて、ジェリー・ロペスやラリー・ベルテルマンもいます。80年代後半と90年代前半には、チームライダーのシェーン・ドリアン、ロブ・マチャド、パット・オコーネルらが着用していました。近年のBody Gloveのサーフチームは、これまでにないほど強くなり、2001年のワールドチャンピオンであるCJホブグッド、ブルース アイアン、コナン・ヘイズ、ギャビン・ベッシェン、ホリー・ベックやトップクラスのアマチュアサーファーや世界中のプロサーファーなどで構成されています。
1953年:初の商業用カスタムウェットスーツとサイズチャートを開発。このサイズチャートがどのウェットスーツ会社でも使用される世界基準に。
1953年:世界で一番古いダイビングとサーフィン店の店主兼運営者に。
1955年:ボブ・マイストレル、ロサンゼルス州認定(UICC)のスキューバ・ダイビングのインストラクターの資格を取得。
1955年:ボブ・マイストレル、ダイビング業界に安全基準を設けることに尽力(全米で認定コースが設立される前、およびロサンゼルス州認定コース(UICC)が認証される前から2年間教えていました)
1956年:ロイド・ブリッジスやその息子、ゲーリー・クーパー、ジャック・ララン、チャールトン・ヘストン、ヒュー・オブライアン、ジル・セント・ジョン、ロイ・ロジャーズ、リチャード・ハリス、ディーン・マーティンなど多くの著名人にダイビングを指導。
1960年:35000人以上のスキューバダイバーを認定。
1963年:200本以上の海中チューブを使ってレドンドビーチマリーンの海底から沈没船「エメラルド」を引き上げました。
1970年:レドンドビーチの清掃活動を始めました。
1974年:レドンドビーチ前で4000年前の中国製のアンカーを発見。
1985年:「バドワイザー・サーフ・ツアー」という初のアメリカプロサーフィンツアーを企画し、6年間TVで放送されました。
1986年:「アイス・パック・ラップ」「ノン・ジップ・ウェットスーツ」「アクロス・ザ・ショルダー・ジップ」「スラント・ジップ」で特許を取得。また、リスト部分とアンクル部分にシールをつけたウェットスーツを発明。
1987年:アメリカ初のプロスノーボードツアーを始め、「ニッサン・プロスノーボードツアー」として全米で放映されました。
1988年:カタリーナ・アイランド・コンサーバンシー・ダイバーズの共同創始者となりました。
1990年:オイルを吸収させるためにアヒルの羽根を使う仕組みを利用した「オイルグローブ」を発明。この方法は、エクソンベルデス社のオイル流出事故の際に用いられました。
1990年:ボブとビルは「サーフィン・オブ・パイオニア」「ダイビング・ホール・オブ・フェーム」を受賞。
2000年:「ジョン・M・オルギン・マリーン・エンバイロメンタル・アワード」を受賞。
2000年:カリフォルニア・レック・ダイバーズ・ホール・オブ・フェームを受賞
2003年:SIMA(Surf Industry Manufactures Association)のライフ・タイム・アチーブメント賞を受賞。
2人が初めてミズーリの農場の池に潜ってから70年以上が経過し、サーフィンやダイビング業界では誰もが知るリーダーとなったビルとボブのマイストレル兄弟は、真のウォーターマンです。